東京マグニチュード8.0はどんなアニメ?
要点だけをまとめると、題名の通り東京にマグニチュード8.0の地震が発生し、被災した姉弟が自宅に帰るまでを描いたアニメ諾品です。
東京消防庁などから協力を得ており、リアリティーを追求しているとアニメのOP前に表示される。
全11話で主に被災4日目までの様子が被災者の視点で語られる。
以下、ネタバレしまくりの感想
ネタバレガンガンしながら感想を書いていくので、知りたくない方はブラウザバックしてください。
「こんな大人に成れているだろうか?」と自問してしまったのが、このアニメを見た感想だった。
物語は姉・未来(以下、未来)と弟・悠樹(以下、悠貴)、そして二人を助けてくれる大人・日下部真理(以下、真理)が登場する。
中学校1年生の未来は、反抗期の女子中学生そのもので、両親と弟に対する態度が身に覚えのあることばかりだ。
逆に小学4年生の悠貴は純粋さを残した少年といった感じだ。
管理人は姉と弟がいる、いわゆる中間子のため、姉の気持ちも弟の気持ちもよくわかる。
未来の両親に対する態度、将来への漠然とした不安、姉としての責任感、思春期と反抗期が混ざった態度は管理人の姉そっくりであんな感じだったなぁと懐かしく感じた。
逆に弟・悠貴は両親や姉の仲を取り持とうとするが、如何せん小学生のため、わがままを行っている程度にしか未来には受け取られていない。
この感覚も管理人にはよくわかる。
両親と姉が喧嘩ばかりしていたら、自分の意見は言えなくなり、結果として姉の意見に従うしかないのである。
未来は悠貴に「自分の考えている事をはっきり言え!」、「人の顔色ばかり伺うな!」と怒るが、思春期の姉は弟から見たら暴君そのものである。
弟としたら、両親も姉も敵視できないのでどっちつかずの態度になるしかないのである。
下は下で考えているものなのである。
その二人を震災後に助けてくれるのが、大人の真理である。
シングルマザーの真理はたくましい女性、頼れる大人として存在しているが、もちろん真理自身も被災者である。
自宅に母親と娘を残していながら、未来と悠貴と行動を共にする。
管理人は成人しているため、どうしても真理(2人の保護者)視点になるのだが、果たして自分が真理と同じ行動を取れるか?と問われれば、素直に「Yes」とは言えない。
被災した事と、家族の安否がわかっていない時に見ず知らずの困った人を助ける余裕はないと思うのだ。
まずは、家族の安否、それから他人。
しかし、真理は姉弟と行動を共にすることになり、途中姉弟が原チャリを真理に持ってきても「バイクじゃ3人で帰れない」と断る。
なぜ、真理は姉弟を助けたのか?
ここからは管理人の勝手な考えだが、自分だったらということで考えてみた。
大きな理由は2つだと思う。
1つは大人としての責任感と弱者を見捨てることができない性格だということ。
真理は困っている人を見過ごせない正義感に溢れた人である。
ベビーカーが段差に挟まり立ち往生している人を助けるシーンがあることからも真理の優しさがわかる。
もう一点は、真理自身の不安解消だと思う。
管理人的にはこちらがとても共感できる部分だ。
打算的かもしれないが、子供の前であれば大人は強がりができる。
本当は不安でも、守るべき人、自分より弱い人の前では強くありたいと思い、行動できるのである。
私は大きな地震を体験したことはないが、東日本大震災の様子は深く脳裏に焼き付いている。
あのような大きな地震に被災して不安にならない人間はいないと思う。
誰もが心と体のどこかに傷を負いながら、それを隠しているだけなのだ。
真理は親切心と幼い姉弟を守るという使命を背負うことで強い大人としての自分を保っていたのではないだろうか。
真理の他にも大人はたくさん登場する。
多くは名もなきボランティアスタッフであったり、自衛隊、消防官など緊急時に活躍する人たちだが、その大人たちもなかなか機転が効いた対応をしてくれる。
お台場からの連絡船では姉弟だけが最初に呼ばれるが、おそらく事情を察した係員が真理を母親として扱い「お母さんも早く!」と声をかける。
最初の段階で姉弟にだけ声をかけていないということは、3人が親子だとは認識していないはずである。
にもかかわらず、3人を親子として乗船させるのである。
その後も、負傷者を載せる自衛隊の車に乗せてくれとお願いするシーンがあるのだが、軽傷の未来は本来は乗車不能なのだろうが、足の包帯をみて車に乗せてあげる自衛隊員がいる。
物語の序盤、未来視点で話が進むが未来の周りには「こうなりたくない大人」で溢れている。
ぶつかっても謝らない大人、人を笑い者にする大人、身勝手な大人である。
「こんな世界壊れてしまえ…」と未来が思うのも理解できるし、思春期の頃は破滅思考になりやすい。
しかし、震災後は真理を含めて「かっこいい大人」が出てくる。
彼らの多くは名も無い登場人物であるが、名も無い社会人となった私は彼らの姿に感銘を受けた。
被災後すぐに始まる救助活動、インフラの復旧、当たり前だったものが誰かの仕事によって成されていたものだっただと痛感する瞬間ではないだろうか。
そして思うのである、「私はこんな大人に成れているだろうか?」。
真理のように困った人に手を差し伸べる人、日常生活を取り戻すために働く人、誰かの不安に寄り添える人。
私は自信を持って答えられない。
未来の視る「こうなりたくない大人」になっていないだろうか。
そんなことを思ってしまった。
そして、物語の終盤、弟・悠貴が亡くなる。
死因は作中で語られることはない。頭痛を訴えていた事と、東京タワーの崩壊時に頭に瓦礫を受けたことが何かしらの原因ではあるのだろうが…
歩いている途中に、体調を崩し、病院で診てもらうが死亡を示す「黒タグ」を付けられて処置を受けることなく息を引き取る。
姉・未来はその事実を受け入れられず、弟の幻覚を見てしまっている。
そして、「お姉ちゃんですから…」と姉としての自覚を繰り返し真理に話すが、これが観ていてとても辛い。
この時点では悠貴がなくなった事は確定していないように感じるが、真理の反応などで勘の良い人なら、弟が既になくなってしまったことに気づくだろう。
それでも、視聴者側としても悠貴に生きていて欲しいという願望があり、余計に胸にくる。
この時の真理の心情もかなり気になる。
未来の言動は、弟の死を受け入れているようにも思えるし、そうでないようにも思える。
どっちつかずというか、どちらとも取れる意味の言葉使いなので、アニメとしての演出がなければ受け取り方は判別がつかない。
私は恐らく、真理は未来が弟の死を受け入れられていない事に気がついていると感じた。
真理が未来の様子をどう捉えていたのか、未来にどんな言葉をかけてあげれた、未来にどんなことをしてあげれたのか、私だったらと思考がめぐる。
その後、悠貴自身から未来に死を告げるシーンがある。
母親と再会する少し前のことだ。
TVなどで被災者が「亡くなった家族のおかげで…」と話を聞いて「そうやって心の整理をしていくのか」程度に思っていたが、もしかしたらこういう神秘体験をしていたのかもしれない。
悠貴が亡くなっている以上、未来が悠貴に死を告げられるシーンは未来が悠貴の死を受け入れられたという象徴なのだろうが、なのだろが…アニメだから悠貴死ななくてもよかったじゃん!って思ってしまった。
悠貴が亡くなることでリアリティーは増すのだが、普段日常アニメで心を癒されている私は、アニメとは言えキャラクターの死は結構辛い。
この時の私は、公園のブランコで「私一人で帰ったって…」とごちる未来に完全に感情移入している。
公園からまた悠貴と家に帰るのだが、悠貴の影がなかったり、悠貴は夕陽に照らされて明るいのに、未来は日陰に入ってしまっていたりとアニメだからこその表現で悠貴の死を迫らせてくるが、「もうやめてくれ」と思いながら観ていた。
まとめ
地震を想定したドラマも多いが、ここまで胸にくる作品は久しぶりだった。
アマゾンプライムで無料で観れるからと思って見始めただけだったが、防災や震災時の心の機微などに思いを巡らせているうちに全11話をノンストップで見切っていた。
アニメだから、フィクションだから、と思えない現実感があった。
作品自体が終始暗いトーンで進むわけではないのが良かった。
ぜひ、時間がある時に見て欲しい。
確実に一気に観ちゃいますよ!
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