ヨハネス・デレーケという名前をご存知でしょうか。
おそらく、愛知、岐阜、三重にゆかりのある方ならご存知かも知れません。
私も、小学生の頃にやたら偉人扱いされていた外国人というだけですが、大人になった今思うとすごいことをした人でした。
水害に悩まされた岐阜県海津市
岐阜県には大きな川が三つ流れています。
木曽川(きそがわ)
長良川(ながらがわ)
揖斐川(いびがわ)
この三つの川を総称して、木曽三川と言います。
この三つの川が交わるところがあります。
それが、現在の岐阜県海津市付近です。
大きな川が一挙に集まる場所ということで、大雨などが降った日には水害待った無しな状態です。
しかも、木曽三川は下流(海の近く)になるに連れて、クネクネと曲がり、水の流れが悪く、さらに水害が起きやすい状態だったのです。
川より低い土地に住む
人が住んでいる土地が、川の水面よりも低いんですよ。
輪中という堤防で自分たちの住んでいる地域を囲む集落です。
川よりも土地が低いので、水が入ってこないように堤防を築いて、輪っかになった集落です。
ただ、この輪中集落は一度、水が集落内に入ると今度は排水が難しくなります。
なので、海津付近の住宅を見ると、古い建物で大きな家は土地をかさ上げしています。
仏壇は二階に置いたり、引き上げる装置がついていたり、家に船があったりと、水害は起きて当たり前の生活だったんでしょうね。
現在の綺麗な流れはヨハネスデレーケのおかげ
そこで、明治時代、オランダの技師のヨハネス・デレーケが川の流れを変える大工事をしました。
それが、木曽三川分流工事です。
クネクネした川を真っ直ぐにしてやれば、洪水などの水害被害が無くなると考えての工事でした。
考えていることはわかります。
曲がっているより、直線の方が水は溢れにくいですもんね。
ただ、それを行うのが難しいというだけで。
けれど、このデレーケさんのおかげで、無事水害は減ったわけです。
ヨハネスデレーケは岐阜市民の中でかなりの偉人
水害を減らしたデレーケの工事の功績は素晴らしいのですが、それ以上に小学生時代の刷り込みが強い。
社会科の勉強で地元の歴史、文化を調べる時間がありますよね。
岐阜市の小学校は、その前から学級文庫にデレーケの治水工事についての本、漫画が充実してます。
ヘレンケラー、エジソン、ヨハネスデレーケ
織田信長、リンカーン、ヨハネスデレーケ
名だたる偉人に並んでヨハネスデレーケ。
とにかく、何をした人かは知らなくても、岐阜市の小学生ならヨハネスデレーケの名前を知らない生徒はいないはずです。
特に川の近くの小学校なら絶対に習うはず。
でも、中学生になってふと気がつくのです。
「ヨハネスデレーケ、テストに一回も出てこないな」と。
地理の時間に輪中について習うことはあっても、デレーケは出ない。
いや、待てよと。
デレーケぞ。
学級文庫にあれほど並んでいたヨハネスデレーケぞ。
意外に歴史上は重要な人物ではないの?と不安になること間違いなしです。
ですが、安心してください。
農林水産省のホームページに載流くらいには凄い人です。
人呼んで「砂防の父」。
よかった、デレーケはやっぱり凄い人なんだ。
まとめ:その地域でやたらと偉人扱いされていても、世間的にはマイナー
デレーケは岐阜の水害を減らした偉大な人です。
が、あまりにも地名度が無い。
この記事で少しでも、興味を持たれた方「ヨハネスデレーケ」、ぜひ、調べてみてください。
きっと、長島スパーランドに行くときに川を見る目が変わるはずです。
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