【読書感想文】山里亮太 天才はあきらめた

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南海キャンディーズの山ちゃんこと、山里亮太さんの著書である。

山ちゃんの芸人半生を振り返った本著はタイトルの 「天才はあきらめた」とはかけ離れた、山ちゃんの天才ぷりを見せつけられた。

私はテレビの向こう側の人達は、皆何か生まれ持った才能で勝負する事ができる特殊な人間だと思っている。山ちゃんは本書を通じて、自分は天才ではないと繰り返し述べているが、 彼のとっている行動は誰にでも出来るが、誰も継続できない方法である。

そして、その姿を人は天才と呼ぶのではないだろうか。

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天才ではない人間の生存戦略

天才ではない人間が、才能溢れた人間が満ち満ちている世界で生き残るにはどうしたら良いのだろうか。

残念ながら、道は1つしかない。

自分にはない才能を埋める努力をするしかないのである。

わかっていても私達は努力をする事が苦手だ。

しかし、山ちゃんは自分が天才でないと認めた時から努力を続け、今やテレビにラジオに大活躍である。

この本を読むまで正直なところ、南海キャンディーズに漫才のイメージは無かった。

M1グランプリに出場している事は知っていたが、まさか準優勝しているとも思っていなかった。

彼らの活躍の場はテレビのバラエティ番組だと思い込んでいたのだ。

山ちゃんのワードセンスと毒舌。

静ちゃんの天然さが彼らの武器だと、この本を読むまで思っていた。

今、南海キャンディーズが活躍している裏には、 山ちゃんの緻密な戦略と熱意 があった事など微塵も知らなかったからこそ、本著は意外性と努力のタネを自分に与えてくれた。

天才じゃないから圧倒的に努力をする

山ちゃんの定義する「天才」とは計算や打算なく、面白い行動、変わった行動を取れる人間を指している。

逆に自分を天才でないと評する山ちゃん自身はそういうタイプではないのだろう。

私ならこの差に心折れて腐るのが関の山なのだが、山ちゃんは違った。

むしろ笑いを計算し尽くして天才達に挑んでいる。

その為には、いかなる努力も惜しまず、相方にも自分と同等の熱量を求めて空回った過去が赤裸々に書かれている。

バカにされた事、ムカついた事、マイナスの感情全てをノートに書き留め、それをエネルギーに自身の努力を惜しまない。

「いつか見返してやる!」、「仕返しをしてやる!」 黒くて暗くてドロドロした感情をガソリンに努力して、努力し尽くす。

負の感情、執念を自分の力に変える方法は甘ったれた私に良いカンフル剤になった。

山里亮太の圧倒的な戦略性

彼の行動には全て 「狙い」 があり、 「ゴール」 が設定されている。

本著の中に書かれているが 「〇〇の為に、△△する」 という考え方(戦略性)が山ちゃんの大本にあるように感じた。

文章にするとなんだそんな事かと簡単に考えてしまうが、実際にはこれを実行できている人はどれくらいいるのだろうか。

今、自分の行っている事がどこに繋がっているか明確にわかって行動できる人は少ないのではないだろうか。

「〇〇が良いと聞いたから」と他人主導の人生を歩んでいると忘れてしまう考え方である。

「ゴールを明確にする」 事自体は数ある自己啓発本で散々述べられているが、どの本にも書いてあるといことは、実践できる人が少ない事の裏返しである。

山ちゃんの戦略性が発揮されたエピソードとしてM1グランプリの準優勝が紹介されている。

M1で勝ち抜くためだけに2本のネタを徹底的に仕上げて勝負し、見事準優勝している。

お客さんからの野次を浴びながらも、この作戦を実行できたのは「M1に出場する」という明確なゴールが設定されていたからだと思う。

M1で勝つ為に、今の舞台は何を言われても良いという覚悟を感じられた。

そして、 M1の舞台すらも南海キャンディーズの次のステージへの足掛かり と考えている彼は、やはり天才なのではないだろうか。

山ちゃんの行動には必ず狙いがある、そう思わせてくれる。

等身大の自叙伝だと思ったら、自己啓発本だった

1つの目標を達成する為に他を犠牲にする勇気と決断力、お笑いに対する圧倒的な熱量。

これらを兼ね揃えていながら、彼はまだ自分は天才ではないと努力を惜しまない。

一番厄介だ、天才と自覚しない天才は努力を続ける。

どの世界であっても、うさぎとカメのような努力を怠るうさぎはいないのだと痛感した。

本屋で手に取った時、タイトルから山ちゃんのこれまでを振り返った本だという事しか認識していなかった。

さらに言えば、山ちゃんの結婚で急に山ちゃんの事を知りたくなったニワカ勢としてはこの本が自己啓発本になるとは思わなかった。

芸人、タレントが書いた本だと言って舐めた目で読み進めると意外な効果があるかもです!

ぜひ、御一読あれ!!

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